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 というわけで、平成も残り100日を切ったんだっけ?今日で。

 いや、あちこちのメディアで、「平成を振り返る」みたいな企画を始めてるので、うちのサイトでもやっていきたい。

 今日はまずそのとっかかりとして、昭和最後の日である、昭和64年1月7日(土)からのあれこれを記憶ベースで。

 この日は土曜日で(ただしその頃は、大学は土曜でも授業があったが、この日は冬休み)。まだ成人の日が1月15日に固定されていた時期。
 この日は、岩切中学校で、模試(中学3年生対象)の試験監督のバイトだった。大学の学生課だか、学生相談所だかのどっちかで募集されたバイトで、確か学生が4人+取り纏め1名集まってのバイト。
 崩御されたのが午前6時33分、発表されたのが7時55分で、発表を聞いてから家を出て。崩御したとはいえ、模試は予定通り粛々と行われ、午前中に5科目終わって、バイト代を貰って帰宅したとさ。
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 というわけで、今日から本格的に?平成を振り返る連載を始めていきたい。
 決して、ネタに枯れたときの穴埋めではないwww

 平成元年。1989年。俺は大学1→2年。

・単位は順調に?取ったはいいが、肝心の?中国語を落として途方に暮れる。
 当時、1→2年は全員進級できたが、2→3年(教養部から学部に上がる)ときに必要単位を取らないと落第する。
 語学が2ヵ国語取らないといけない状況で、保険のために2年時には1年の工学部のドイツ語のクラスに潜り込むwあと、中国語が1年のクラス・2年のクラスと両方で。+英語。
(今にして思えば、部活の顧問の教授がやっていたフランス語に頼み込めばよかったかな、とも)続きを読む
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 案の定、暫く間が空いてしまったwww

 というわけで、第3回いってみよー。

 平成2年。1990年。大学2→3年。

・大学。中国語の単位は、無事に1年分と2年分を取って、教養部(今はもうないのか)から学部へ進級した。
 授業はそれなりにまぁまぁ出て、月曜夕方がゼミ、火・水・金・土の夕方が片平で部活。開いてる時間に、適当に学相(学生相談所)で斡旋した単発(什器関連の搬出入が多い)のバイトをぶち込んだり、とか。家庭教師もちょこちょこやってたっけ。
(最初にやったのは近所の東高英語科の1年→2年の女子で、数学をやってたら、なぜか本人が数学にはまって、結局工大のインテリア科だかに行ったり、とかね)続きを読む
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 平成3年。1991年。大学3→4年。

・この年は、一番のメインは就職活動。

 第一志望は宮城県庁ということで、一応公務員試験の勉強はちょこちょこしつつ。
 民間にもいろいろと。今では信じられないが、東京まで面接とかセミナー行く場合、ちゃんと採用側で交通費を出してくれていたのでありがたい。
 いろいろ行ったなぁ、全日本のチャンピオンカーニバル決勝@武道館とか(何

 民間については、「都市対抗野球で応援をしたい」というのがあって。
 仙台に残るということからそれを考えると、
・七十七:当時はそんなに強くなかった(初出場は1996年)
・JR :駅勤務とかで土日休めなさそう
・JT :たばこ吸わない
ということで、消去法で?残ったのがNTT(当時は民営化はされていたが、東西分割前)で、そこから通信業界を狙った結果、最初に入社した会社に決まる、というから、世の中わからんものよのう。。。
(なお、NTTは結局面接にも至らず)


 その他として。続きを読む
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 平成4年。1992年。大学4年→就職。

・まず、大学だが、無事?卒業できた。
 といっても裏?があって。4年の最後に受けた試験。学部としては問題なかったのだが、経済学科の科目が、(ゼミと、ゼミ教授の授業を除き)全滅!
 この当時、卒論は必修じゃなかったのだが、卒論(12単位)を書いていたので、それで学科の科目の方もクリアして卒業できたという次第。

 ちなみに、卒論のテーマは「第二国土軸」。
 「第二国土軸」で検索すると、wikiとかでは「太平洋新国土軸構想」とかいって、静岡県から渥美半島、伊勢湾、紀伊半島、紀淡海峡、淡路島、四国地方、そして豊予海峡を経て九州地方に至る約800kmのことを書いているが、そうではない。
 俺が書いたのは、第一国土軸(所謂、太平洋ベルト地帯)に対抗しての、東北・北海道を貫く経済構想、のことである。
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