世界的な人気と知名度でプロレス界を牽引し、80年代に新日本プロレスでもトップ外国人選手として大活躍したハルク・ホーガンさんが、現地時間7月25日、自宅のあるフロリダ州の病院で亡くなった。享年71。ホーガンさんは、1953年8月11日ジョージア州オーガスタ生まれ、フロリダ州タンパ出身。1977年にプロレスデビュー。新日本プロレスには1980年『第3回MSGシリーズ』に初来日。1980年10月には、アントニオ猪木の持つNWFヘビー級王座に挑戦。
1980年末の3度目の来日からは、タイツに漢字で「一番」と入れて、「イチバーン!」と叫ぶスタイルが定着。1982年には映画『ロッキー3』にサンダー・リップス役で出演するなど、日本でも人気が上昇。
1983年には『IWGP決勝リーグ戦』にアメリカ代表として出場、6月2日蔵前国技館での決勝戦に勝ち上がり、優勝候補のアントニオ猪木をアックスボンバーで衝撃KOして初優勝。同年の『MSGタッグ・リーグ戦』では、猪木とのタッグチームを結成して優勝をはたした。
1983年からはアメリカの主戦場をAWAからWWF(現WWE)に移し、1984年1月、アイアン・シークを倒して、WWF世界ヘビー級王座を初戴冠。
このあとMTVとのコラボレーションを経て、1985年3月には『レッスルマニア』が初開催。黄色と赤をイメージカラーとした“リアル・アメリカン”として、プロレス界のワクを超えるカリスマ的なポップアイコンに急成長していく。
1987年3月29日、ミシガンで行われた『レッスルマニアIII』では、WWF世界ヘビー級王座戦でアンドレ・ザ・ジャイアントと激突し、9万3173人の観客を動員する伝説の大会となった。
1990年4月13日には、東京ドームで開催された全日本プロレス、新日本プロレス、WWFの合同興行『日米レスリングサミット』に出場。メインイベントで、スタン・ハンセンと対戦して勝利。
1993年5月3日にはWWF世界ヘビー級王者として新日本プロレスに約8年ぶりに再来日をはたし、福岡ドームで当時IWGPヘビー級王者だったグレート・ムタとのドリームマッチが実現。ノンタイトルながら勝利を収め“超人健在”を証明。
同年9月23日の横浜アリーナではムタとのドリームタッグでヘル・レイザーズに快勝。9月26日大阪城ホールでは武藤敬司との一騎討ちにも勝利。翌年、1994年1月4日東京ドームでは、藤波辰爾ともシングルで対戦している。
1994年には、WWFからWCWに移籍。1996年にはケビン・ナッシュ、スコット・ホールと共にnWoを結成し、ヒールに転向。過去のイメージを一新して大ブレイク。このnWoブームは渡米した蝶野正洋が日本支部としてnWo JAPANを結成するかたちで、日本にも伝播した。
2002年には約9年ぶりにWWFに復帰、トロントの『レッスルマニアX8』で行われたザ・ロックとの歴史的な一戦は“アイコン vs アイコン”として注目を集めた。
2003年10月13日には約10年ぶりに新日本プロレスに参戦。東京ドームで蝶野とのシングルマッチも実現。
不世出のスーパースターとして、プロレス界だけでなく、世界中のエンターテインメント界に大きな影響を与えた“レジェンド”ホーガンさんは、2005年にはWWE殿堂入り、2020年にはnWoとしてもWWE殿堂入りをはたしている。
謹んで、ハルク・ホーガンさんのご冥福をお祈りします。(新日本プロレス)
・・・そうか、2003年に俺、ホーガンを見ていた。
ホーガンで一番印象深いのは、やはり猪木との第一回IWGP決勝。猪木舌出し失神KO事件、かなぁ。。。
・・・合掌。
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このあとMTVとのコラボレーションを経て、1985年3月には『レッスルマニア』が初開催。黄色と赤をイメージカラーとした“リアル・アメリカン”として、プロレス界のワクを超えるカリスマ的なポップアイコンに急成長していく。
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1990年4月13日には、東京ドームで開催された全日本プロレス、新日本プロレス、WWFの合同興行『日米レスリングサミット』に出場。メインイベントで、スタン・ハンセンと対戦して勝利。
1993年5月3日にはWWF世界ヘビー級王者として新日本プロレスに約8年ぶりに再来日をはたし、福岡ドームで当時IWGPヘビー級王者だったグレート・ムタとのドリームマッチが実現。ノンタイトルながら勝利を収め“超人健在”を証明。
同年9月23日の横浜アリーナではムタとのドリームタッグでヘル・レイザーズに快勝。9月26日大阪城ホールでは武藤敬司との一騎討ちにも勝利。翌年、1994年1月4日東京ドームでは、藤波辰爾ともシングルで対戦している。
1994年には、WWFからWCWに移籍。1996年にはケビン・ナッシュ、スコット・ホールと共にnWoを結成し、ヒールに転向。過去のイメージを一新して大ブレイク。このnWoブームは渡米した蝶野正洋が日本支部としてnWo JAPANを結成するかたちで、日本にも伝播した。
2002年には約9年ぶりにWWFに復帰、トロントの『レッスルマニアX8』で行われたザ・ロックとの歴史的な一戦は“アイコン vs アイコン”として注目を集めた。
2003年10月13日には約10年ぶりに新日本プロレスに参戦。東京ドームで蝶野とのシングルマッチも実現。
不世出のスーパースターとして、プロレス界だけでなく、世界中のエンターテインメント界に大きな影響を与えた“レジェンド”ホーガンさんは、2005年にはWWE殿堂入り、2020年にはnWoとしてもWWE殿堂入りをはたしている。
謹んで、ハルク・ホーガンさんのご冥福をお祈りします。(新日本プロレス)
・・・そうか、2003年に俺、ホーガンを見ていた。
ホーガンで一番印象深いのは、やはり猪木との第一回IWGP決勝。猪木舌出し失神KO事件、かなぁ。。。
・・・合掌。
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