ブログネタ
【JFL】 に参加中!
 今日(11/16)は、ソニー仙台FCがラス前の試合。アウェイで横河武蔵野戦に臨み、2−1で勝利した。
 また、前座試合として、横河vsソニーのレジェンドマッチも行われた。レポートはこちら。ソニーの出場メンバーはこちら。
 ソニーのレジェンドマッチについては、11/24の最終戦の前にも行われる。10:15試合開始、はや!メンバーはこちら。うわ、大杉。。。


 というわけで、今日は1999年の新・JFL初年度の話。
 JFLのサイトには、1999年からの記録が全部残っていてありがたい。1999年はこちら。
(ソニー仙台FCのHPでは、2006年以降の記録が残っている。しかし、チームのHPもいつまで残るやら。。。)

1999jfl で、この年に新・JFLがスタート。参加チームは
 旧JFLから、本田技研、大塚製薬、デンソー、ソニー仙台、水戸ホーリーホック、国士舘大、ジャトコの7チーム。これに加え、参加申請を行った横河電機を加えた8チーム(1998年の地域決勝は、横河電機が優勝)・・・のはずが、横浜FCが2月くらいに参加が決まった。横浜FCは、横浜フリューゲルスの合併による消滅を引き継ぎ、再び市民クラブ(当時)としてスタートしたチームで、これで9チーム。
 3回戦9チームによる総当たり、である。各ステージで優勝を競う。

 ソニー仙台FC。1998年はチケット1500円だったのが、1999年は1000円に(ともに、全試合共通入場券。ちなみに現在は、前売り800円、当日1000円)。
*尤も、俺は1997−2010年まで日本サッカー後援会に入っていたので、ぶっちゃけチケットを買ってS仙台の試合を見る、というのがそうそうないwww
ssfc 新戦力として、まずは長澤和明監督。旧JFL1部では、ヤマハを率いて優勝の経験もある。全国リーグ通算、175試合97勝15分63敗。尤も、世間一般的にいえば、「長澤まさみの父親」といった方が通りがいいのか?
 熱い指示、途中出場した選手を交代させる、前半から選手交代をしかける、などでおなじみw
 また、この年に吉田暢コーチ(元B仙台)が加入。のちに監督まで務める。
 選手では、最終所属が「ブランメル仙台ユース」としては、一番長く残った(と思う)木村孝次。FWとして入団したが、ソニーで右SBにコンバートされた。
 のちに監督まで務める、DF石川雅人(筑波大)。そして、熱いコーチングでおなじみ、GK内田謙一郎(早稲田大)。U17W杯出場経験を持つ、MF橋本淳(東北学院高−早稲田大、多賀城高非常勤講師)、あと壱岐友輔(東北学院大在学中。選手としては東北学院高− Esporte Clube XV de Novembro de Piracicaba(ブラジル) )

 開催スタジアムは、仙台スタジアム7,宮城県サッカー場A2、七ヶ浜2.
 でもって、結果を書くと

JFL  5位(1S8位、2S8位、3S4位。9勝1分14敗)
東北総体 ブロック最下位(福島に引分、秋田に敗れ)
全国社会人選手権*この年のみJFLチームが参加していた
 決勝で本田に0−4で敗れ準優勝
天皇杯 ◎2−1岩手大、△0−0PK4−3甲府!初のJチーム撃破!
    で、3回戦がガチの名古屋に0−4で敗れる(この大会、名古屋は優勝)

 JFLに関して言えば、「横浜FC様様」だったかな、リーグ戦の盛り上がり、という面で考えると。確か、第3Sで仙スタ開催だった試合が2109人。これが、ソニー仙台の現・JFLの最多観客動員、かな?

 この年に俺が見た試合は、
6/13 日 西が丘 S仙台 3−1 国士舘大
12/5 日 小瀬  S仙台 0-0PK3-4 甲府
12/12日 瑞穂陸 S仙台 0−4 名古屋

 いや、この当時は杉並区民だったのだが、JALのマイルを稼ぐ(1万マイルに乗せる→2000年1月の地域決勝@春野に行く)ために、帰りは名古屋から関空→羽田、という手を使ったwwwその当時は、そんなに丘マイルを稼ぐ手段がなかったからな。。。

 1999年オフの選手動向としては、長田大樹、本木利光、壱岐友輔が退団。長田・本木は社業専念、壱岐は学業専念とのこと。壱岐はその後、JFAS級ライセンスを取り、ベガルタ仙台のアカデミーコーチとして活躍するが、U−14カンボジア代表監督などを経て、現在はアビスパ福岡で「ヘッドオブコーチング」を務める。



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