ブログネタ
どうでもいい話 に参加中!
 というわけで、今日から本格的に?平成を振り返る連載を始めていきたい。
 決して、ネタに枯れたときの穴埋めではないwww

 平成元年。1989年。俺は大学1→2年。

・単位は順調に?取ったはいいが、肝心の?中国語を落として途方に暮れる。
 当時、1→2年は全員進級できたが、2→3年(教養部から学部に上がる)ときに必要単位を取らないと落第する。
 語学が2ヵ国語取らないといけない状況で、保険のために2年時には1年の工学部のドイツ語のクラスに潜り込むwあと、中国語が1年のクラス・2年のクラスと両方で。+英語。
(今にして思えば、部活の顧問の教授がやっていたフランス語に頼み込めばよかったかな、とも)
・フェンシングの国公立大会で、はじめて(新幹線で)九州上陸。
 大会自体は、東北大学が3連覇を果たすが、上級生が強くて、出番が殆どなかった。
 頭に来たので、レセプションで「来年東北大が4連覇し、俺がMVPを取る」宣言を。

・結果として、俺が出た唯一のフェンシングのインカレ団体(全日本学生選手権)。
 サーブルは出番が回ってこず(最初の3人で決着)、フルーレでは使ってもらえず、エペで出たが負け。

・で、インカレのとき、飯田橋のユースに泊まったんだが、そのときにはじめて観に行ったプロレスが、U−COSMOS(第二次UWF・東京ドーム大会)。1989/11/29

 というか、東京ドーム行ったのは、この時が最初だったんじゃないか?




・ラジオは。。。「めざせ!高校一直線」(ラジオたんぱ)を聞くようになる。
(一応、高校受験生向けの番組ではあったが、実際はそれ以外のリスナーが殆どだったwww」)
 あと、「男女りすなぁ若者語」(TBCラジオ)は、昭和63年秋のスタートだったが、実際にハガキを出すようになったのはこの年の秋くらいからかな。

・スポーツ界としては、夏の甲子園大会で仙台育英が初の決勝進出。
 いや、この年の夏は、宮城大会で、(二高が早々と?負けたこともあり)なぜか仙台三高の応援席にいたが、決勝で育英に大敗。
 「虚妄の学園」という小冊子をみんなで持っている応援席の風景が、翌年の大会プログラムに。。。www
 で、甲子園の決勝の前日は単発のバイトを入れていたが、この日はバイトを入れずに自宅で一喜一憂するも、帝京高が勝利し優勝。

・NPBドラフト。東北福祉大から3名指名。
 佐々木主浩(大洋1位)、葛西稔(阪神1位)、大塚孝二(西武3位)。

・レコード大賞が「淋しい熱帯魚」(Wink)だっけ?


・流行語大賞が「セクシャルハラスメント」
 その他、「オバタリアン」「イカ天」など。



人気blogランキングへの投票お願いします。1/24現在27位。週間IN18 週間OUT40(−8) 月間IN64
どうでもいい話 - livedoor Blog ブログネタ