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 訃報続きだが、これを。

1611301 元プロレスラーでノアの顧問役を務める永源遥氏が28日、死去した。70歳だった。石川県出身。関係者によると都内のサウナ店で倒れ、死因は調査中という。この日午前に都内のノア事務所で、永源氏と日本プロレス時代などの昔話で談笑した内田雅之会長は「信じられない。ショックで言葉が出ない。プロレス界の生き証人としても大切な人だった」と声を詰まらせた。元気な様子だったという。

 永源氏はラッシャー木村に誘われ、66年に20歳で大相撲立浪部屋から東京プロレスに入門。同年10月に木村戦でデビューした。その後、日本、新日本、ジャパン、全日本、ノアと主要6団体を渡り歩いた。全日本では89年から井上、渕、大熊らと「悪役商会」を結成。90年代に全日本でジャイアント馬場らの「ファミリー軍団」と抗争を展開し、人気者になった。

 水平チョップを受けた拍子につばが飛んだことをきっかけに生まれた「つば攻撃」が代名詞。客席へのつば飛ばしもあり、リングサイドの観客が新聞紙を広げてガードする光景が定番だった。コミカルなファイトでファンの支持を得た。06年に60歳で現役引退するまでシングル王座獲得は1度もなく、トップ戦線に絡まない前座レスラーだったが、昭和を代表する名脇役の1人だった。

 ノアに00年の旗揚げから参加。引退後は取締役などの要職を歴任。現役時代から政界にまで培った幅広い人脈を生かし、団体の運営にも貢献してきた。近年は試合会場の入り口付近に立ち、ファンと気さくに接する姿があった。ノアは今日29日に会見を行う。

 ◆永源遥(えいげん・はるか)1946年(昭21)1月11日、石川県生まれ。大相撲立浪部屋に入門もラッシャー木村に誘われ、66年に東京プロレス入門。新日本、全日本、ノアなど主要6団体で戦った。百田光雄とは永遠のライバルで100戦以上もシングルで激突。06年3月にノアで現役引退。178センチ、110キロ。(日刊)

 俺が一番最初にプロレスを見たのは、89年のUWFの東京ドームだが、90年10月4日。全日本の塩釜大会。

・・・永源選手のつばが、俺の座った右前まで飛んできた・・・



 合掌。



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