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 というわけで、朝3時に目覚ましかけておきましたよ。

・ロンドン五輪フェンシング男子フルーレ団体決勝

イタリア 45V−39 日本


 いや、何が凄いって、途中までリードしていたのも凄いが、あそこで(8番手で)三宅に代えて淡路を投入したこと。twitterとか見てると、「淡路のリズムが他の人と違う」みたいなコメントが散見されたけど(素人の)、そういう発想はなかったな。

 とにかく、よくやった・・・と。
 そして、リオへの闘いはもう始まっている。

 休めるときは休んでほしい。太田は久々にtwitterで呟きまくってるけどw

(いや、試合終わった直後にblog更新しようと思ったが寝落ち→7時に起きて会社へ→夜はモルツ杯→飲みすぎて女子サッカー25時見る前に寝落ち→起きていまここ、と(7日は会社休み)


 男子フルーレ団体で、日本が史上初の団体メダルを獲得した。太田雄貴(26)=森永製菓=、千田健太(27)=ネクサス=、三宅諒(21)=慶大=の3選手と補欠の淡路卓(23)=ネクサス=で挑み、決勝は過去6度優勝のイタリアと競り合ったが、最後は39−45で敗北。銀メダルを獲得した。太田は08年北京五輪の個人に続き2大会連続の銀となった。
 冷めやらぬ興奮。表彰台を下りても、偉業の感慨にふける仲間をよそに、太田は銀メダルを首から外した。そのメダルは自分自身のために欲したものではなかった。「北京のメダルは初めてで、訳が分からなかった。今回は取りに行ったメダル。健太にメダルをプレゼントしたかった。何とか健太に…。そう思っていた」
 4年前も共に出場した千田は宮城・気仙沼市出身。地元は東日本大震災で被災し、親類や親友を亡くした。「メダル取って、俺も気仙沼に行く」。そう繰り返していた同期選手。太田はその夢を実現させてやりたかった。
 準々決勝ではその千田の活躍もあり、世界選手権覇者の中国を撃破。準決勝のドイツ戦では最終9試合目で太田がヨピッヒに3点のリードを引っ繰り返されたが、残り1秒で同点に追い付き、延長戦の末に勝利。イタリア戦も終盤まで大接戦で、3点を追う展開で最終戦に。太田は相手エースのバルディニに5点を奪われ力尽きたが、1時間22分の激闘では世界ランク1位の強豪を追い詰めた。
 北京個人で銀を取り、ロンドンでは個人、団体の2冠を狙って再出発。だが、道は平たんではなかった。2年前、練習中に拳と拳が激突。右手甲を骨折した。競技を続けながら治療するため、いまだに痛みが走る。太田に近い関係者は「今年もそれでずっと調子が悪かった。治って再発、治って再発で。病院でも『(骨は)くっつかない』と言われた」と明かす。
 五輪前は剣選びも難航。グリップと300グラム以下という軽量にこだわり、1か月前にようやく茨城の工場で本番仕様の剣を完成させた。直前合宿や大会中は体調も崩したが、どうにか踏ん張った。個人で3回戦敗退に終わった太田は「もう1回やり直しで今日また個人戦があったら、僕はまた負けていたと思う。仲間のために、健太のために、というのがあったから、今日頑張れた」と振り返る。
 今後の競技人生について「未定です」と太田。集大成の五輪でつかんだ2つ目の銀は、エースの意地が詰まっていた。(報知)

 ロンドン五輪第10日の5日、フェンシング男子フルーレ団体で日本が銀メダルを獲得した。千田健太選手の父健一さん(55)と、淡路卓選手(23)=ネクサス、宮城・東北工大高出=の父寛さん(55)も現地で応援した。ともに息子にフェンシングの基礎をたたきこんだ2人。感慨深げに表彰台を見詰めていた。

 気仙沼市松岩中、気仙沼高と厳しく指導した千田選手が決戦の地に登場すると、健一さんは「決勝のピストに立つ息子を見られるとは夢のようだ」と興奮した。
 日本がボイコットしたモスクワ五輪(1980年)のフェンシングで幻の代表。ロサンゼルス五輪(84年)も狙える力はあったが、宮城県の教員採用の年齢制限があり、「断腸の思い」で競技をやめた経緯がある。
 北京五輪後に千田選手が大学卒業後の活動拠点を探していた時、「就職できなくても俺がサポートする」と励まし、勇気づけたことがあった。フェンシングを続けたくても続けられなかった自らの苦い経験があったからこその言葉だった。
 個人戦は初戦敗退した千田選手だが、団体戦では最高の動き。健一さんは「ずっと気持ちが張り詰めていたはず。お疲れさまと言ってあげたい」とねぎらった。

 準々決勝、準決勝と出番がなかった淡路選手は決勝のイタリア戦で出番が回ってきた。世界ランキング1位のカッサーラ選手と渡り合い、普段は厳しい寛さんも「今日の動きは良かった。褒めてあげたい」とたたえた。
 淡路選手が競技を始めた仙台市蒲町小4年から宮城・東北工大高を卒業するまで、付きっきりで息子を指導してきた。
 淡路選手が「(漫画の)『巨人の星』みたいな感じ。スパルタです」と振り返るように、厳しい練習を積ませた。「自分の子どもについては後悔しないように面倒を見たい」という強い親心があったからだ。
 競技を始めたころに2人で約束したことは「誰も到達できないような選手になる」こと。「金メダルを取らないと目標を達成したことにならない。次は、取るでしょう」と期待した。(河北)

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