やっとこっちまで書く時間が回ってくる?いや、この手の文章、書く分には結構すいすい書けるのだが、順位とかのチェックが大変なんだよねw
ソニー仙台FCが、2010年JFLにおいて最下位だったのにもかかわらず、「恵まれて」入替戦回避・JFL残留を決めたのは12/14(水)の記事で書いたとおり。
シーズン中は、「もしかして東北リーグ降格?」「地域との入れ替え戦wktk」なんてことが脳裏をよぎったりもしたが、同様の経験をしたチームが、かつて東北に、宮城県に存在した。
何を隠そう、ブランメル仙台(現在のベガルタ仙台)。
1995年JFL。前年度(1994年度=95年1月開催)全国地域リーグ決勝大会で初優勝を果たし、堂々とJFL昇格を果たしたB仙台。「1997年のJリーグ昇格」を目標に、東北電力時代のチームに、外国人2名(エンリケ、エジマール)と元Jリーガー6名(阿部良則、山口貴之、河本=V川崎、斎藤浩史=清水、大崎=名古屋、吉田暢=市原)を補強してJFL参戦。
しかし現実は厳しかった。開幕戦こそ、前年度4位の鳥栖Fにアウェイで退場2名を出しつつも3−4と惜敗したものの、ホーム開幕戦の福岡B戦では1−5の惨敗。第三節の、福島FCとの東北ダービーでは阿部良則のハットトリックなどで4−0と圧勝するものの、その後は連敗街道が続く・・・。ホームでの初勝利は、7月の本田技研戦まで待たなくてはいけなかった。
この年のJFLは、柏レイソル・セレッソ大阪のJリーグ昇格を受け、16チームでの開催。当時のルールは、90分勝利が勝点3、延長勝利は2、PK戦勝利は1というレギュレーション。前年度3位の鳥栖フューチャーズ(PJMフューチャーズが佐賀県に移転して名称変更。現在のサガン鳥栖の前身)、4位の福岡ブルックス(藤枝ブルックスが福岡県に移転して名称変更。現在のアビスパ福岡)、6位の京都パープルサンガ(現在の京都サンガ)のJリーグ準加盟3チームが、Jリーグ昇格条件であるJFL2位以内を争うという展開だった(95年7月に、ヴィッセル神戸(前年度10位。川崎製鉄が岡山から移転して名称変更)が準加盟承認されたが、阪神淡路大震災の影響もあり、出遅れの展開。ちなみにB仙台の準加盟申請は1995年9月、承認は11月)。
で、俺自身は当時東京都杉並区在住で、B仙台を初年度から応援してきたわけだが(結局参戦はホーム4試合1勝(本田)3敗(福岡、東京、関東)、アウェイ8試合2勝(福島、コスモ)6敗(関東、富士通、福岡、東芝、本田、東京)、「一年で地域リーグに逆戻りする可能性がある」という危機感は・・・正直薄かった。なぜ薄かったのか、という疑問がこの記事を書いたきっかけなのだが・・・
ソニー仙台FCが、2010年JFLにおいて最下位だったのにもかかわらず、「恵まれて」入替戦回避・JFL残留を決めたのは12/14(水)の記事で書いたとおり。
シーズン中は、「もしかして東北リーグ降格?」「地域との入れ替え戦wktk」なんてことが脳裏をよぎったりもしたが、同様の経験をしたチームが、かつて東北に、宮城県に存在した。
何を隠そう、ブランメル仙台(現在のベガルタ仙台)。
1995年JFL。前年度(1994年度=95年1月開催)全国地域リーグ決勝大会で初優勝を果たし、堂々とJFL昇格を果たしたB仙台。「1997年のJリーグ昇格」を目標に、東北電力時代のチームに、外国人2名(エンリケ、エジマール)と元Jリーガー6名(阿部良則、山口貴之、河本=V川崎、斎藤浩史=清水、大崎=名古屋、吉田暢=市原)を補強してJFL参戦。
しかし現実は厳しかった。開幕戦こそ、前年度4位の鳥栖Fにアウェイで退場2名を出しつつも3−4と惜敗したものの、ホーム開幕戦の福岡B戦では1−5の惨敗。第三節の、福島FCとの東北ダービーでは阿部良則のハットトリックなどで4−0と圧勝するものの、その後は連敗街道が続く・・・。ホームでの初勝利は、7月の本田技研戦まで待たなくてはいけなかった。
この年のJFLは、柏レイソル・セレッソ大阪のJリーグ昇格を受け、16チームでの開催。当時のルールは、90分勝利が勝点3、延長勝利は2、PK戦勝利は1というレギュレーション。前年度3位の鳥栖フューチャーズ(PJMフューチャーズが佐賀県に移転して名称変更。現在のサガン鳥栖の前身)、4位の福岡ブルックス(藤枝ブルックスが福岡県に移転して名称変更。現在のアビスパ福岡)、6位の京都パープルサンガ(現在の京都サンガ)のJリーグ準加盟3チームが、Jリーグ昇格条件であるJFL2位以内を争うという展開だった(95年7月に、ヴィッセル神戸(前年度10位。川崎製鉄が岡山から移転して名称変更)が準加盟承認されたが、阪神淡路大震災の影響もあり、出遅れの展開。ちなみにB仙台の準加盟申請は1995年9月、承認は11月)。
で、俺自身は当時東京都杉並区在住で、B仙台を初年度から応援してきたわけだが(結局参戦はホーム4試合1勝(本田)3敗(福岡、東京、関東)、アウェイ8試合2勝(福島、コスモ)6敗(関東、富士通、福岡、東芝、本田、東京)、「一年で地域リーグに逆戻りする可能性がある」という危機感は・・・正直薄かった。なぜ薄かったのか、という疑問がこの記事を書いたきっかけなのだが・・・
結局は、「現在(2011年)との違い」ということに落ち着く。
1)B仙台を(現場で)応援する人数の違い
2)B仙台を(ネットで)応援する人数の違い
3)B仙台に対する、自分のモチベーションの違い
4)レギュレーションの違い
1)については、試合に集まる観客数を考えると一目瞭然。
2)についても同様だし、当時はネット上でのつながりというのが、nifty-serveのサッカーフォーラムくらいしかなく、また常連として書き込んでいる人も俺を含め数名しかいなかった。そういった意味では、「常時B仙台の話題に触れる」ことはあまりなかったんじゃないかと。
3)応援のモチベーションについては・・・現在はイーグルスという存在があるにせよ、少なくとも当時よりは、今のほうが高かった、と思う。
4)現在の入替は、順位によっては「有無を言わさぬ」自動入替だったのだが、あの時代の入替は、入替戦を行った上での入替というレギュレーションだったから、「いざとなれば入替戦が」という感じだった。
しかも、(その時点では入替戦の相手=地域決勝大会はまだ行われておらず、出場チームすらぽつりぽつりとしか聞こえてこず(地域リーグの試合結果は、その翌日の各地の新聞で知ることができれば(しかもnifty-serveのサッカーフォーラム経由で)知ることができればラッキー、一週間経ってから知ることも珍しくなかった)、その時点で「上(=Jリーグ)を本気で目指している、地域決勝に出てくる」チームが大分トリニティ(当時)だけだったこともある。
ただ、仮に入替戦となった場合、入替戦は地域決勝(当時は1月下旬)終了の開催だったため、JFLのシーズン終了が10月末、天皇杯東北予選(!)が11月、決勝大会が12月だったので、少なくとも一ヶ月はまるまる試合がない。その間の選手のコンディション調整が問題。さらに、(あとから知る話になるわけだが)B仙台は95年のオフから96年にかけて、監督・選手を大幅に入れ替えてJリーグを目指すことになるわけで、そうなるとどの時点で選手を入れ替えるのか、どこでどうコンディションを作るのかの問題も出てくる(選手登録期限の問題もあるが、あの当時は結構おおらかで、地域決勝の登録期限(大会一週間前くらい?)に駆け込みで選手獲得をすることも結構あったから、その辺は問題ないかと?)。
話を1995年のJFLに戻すと、結局このシーズンは、ほとんど勝てずじまい。だいたいにして、ホームゲームでは15戦中2勝しかできなかった(初勝利が7月の本田戦、最後の勝利は最終戦の鳥栖戦Vゴール勝利)。東北の宿敵(一年早くJFL昇格を果たした)、NEC山形(現在のモンテディオ山形)は勿論、同期昇格の福島FCの後塵を拝すことになる・・・。七十七銀行の「ブランメル定期」のCM,「オーレオレオレブランメル、ブランメル勝ったら金利が上がる」というのがあったが、結局金利は上がらなかった。
で、この年のシーズンは、結果として1位の福岡B,2位の京都がぶっちぎってのワンツーフィニッシュ。29節の時点でJリーグ昇格条件である2位以内を確定させたのである(ちなみに京都が29節@太陽が丘で勝利したのが、よりによってのブランメル仙台。6−2。この試合は行こうかと思ったが、確か夜勤明けになったのかな?それとも、当初出場する予定で金を払っていた東京都フェンシング選手権(男子フルーレ)の日が、泊まり勤務(この頃は月8回のペースで、24時間勤務をしていた)になったので、代金をこの日開催のエペ杯に振り替えてもらったので、太陽が丘を欠場したのかな?)。勝ち点9差の3位は、なんと(失礼)東京ガス(現在のFC東京)で、「来年のJFLプログラムのトップ(前年度順位順の紹介)は東京です」とサポが喜んでいたことを覚えている。
ブランメルは結局、最終戦で鳥栖Fに、阿部良則のVゴールで勝利して15位。それも、最下位の西濃運輸が、豊田陸上で京都にVゴール勝利(これで京都は優勝を土壇場で福岡にさらわれた、別名「豊田の奇跡」)したため、鳥栖に勝っていなければ最下位、という状況だったのである。
結局、95年オフでブランメルは佐藤長栄監督を迎え、17名もの大補強を行う。俺は95年11月で、転勤で仙台勤務となるのであった・・・。
【第4回JFL(1995/96)最終順位表】95年のB仙台成績はこちら。
1 福岡ブルックス 72 +58
2 京都パープルサンガ 70 +36
3 東京ガス 61 +31
4 鳥栖フューチャーズ 60 +10
5 大塚FCヴォルティス徳島57 +15
6 ヴィッセル神戸 55 +17
7 本田技研 49 +16
8 東芝 46 −9
9 ヴァンフォーレ甲府 43 0
10 NEC山形 41 −2
11 コスモ石油 36 −20
12 富士通 34 −16
13 福島FC 33 −43
14 NTT関東 31 −29
15 ブランメル仙台 27 −39
16 西濃運輸 26 −35
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2)についても同様だし、当時はネット上でのつながりというのが、nifty-serveのサッカーフォーラムくらいしかなく、また常連として書き込んでいる人も俺を含め数名しかいなかった。そういった意味では、「常時B仙台の話題に触れる」ことはあまりなかったんじゃないかと。
3)応援のモチベーションについては・・・現在はイーグルスという存在があるにせよ、少なくとも当時よりは、今のほうが高かった、と思う。
4)現在の入替は、順位によっては「有無を言わさぬ」自動入替だったのだが、あの時代の入替は、入替戦を行った上での入替というレギュレーションだったから、「いざとなれば入替戦が」という感じだった。
しかも、(その時点では入替戦の相手=地域決勝大会はまだ行われておらず、出場チームすらぽつりぽつりとしか聞こえてこず(地域リーグの試合結果は、その翌日の各地の新聞で知ることができれば(しかもnifty-serveのサッカーフォーラム経由で)知ることができればラッキー、一週間経ってから知ることも珍しくなかった)、その時点で「上(=Jリーグ)を本気で目指している、地域決勝に出てくる」チームが大分トリニティ(当時)だけだったこともある。
ただ、仮に入替戦となった場合、入替戦は地域決勝(当時は1月下旬)終了の開催だったため、JFLのシーズン終了が10月末、天皇杯東北予選(!)が11月、決勝大会が12月だったので、少なくとも一ヶ月はまるまる試合がない。その間の選手のコンディション調整が問題。さらに、(あとから知る話になるわけだが)B仙台は95年のオフから96年にかけて、監督・選手を大幅に入れ替えてJリーグを目指すことになるわけで、そうなるとどの時点で選手を入れ替えるのか、どこでどうコンディションを作るのかの問題も出てくる(選手登録期限の問題もあるが、あの当時は結構おおらかで、地域決勝の登録期限(大会一週間前くらい?)に駆け込みで選手獲得をすることも結構あったから、その辺は問題ないかと?)。
話を1995年のJFLに戻すと、結局このシーズンは、ほとんど勝てずじまい。だいたいにして、ホームゲームでは15戦中2勝しかできなかった(初勝利が7月の本田戦、最後の勝利は最終戦の鳥栖戦Vゴール勝利)。東北の宿敵(一年早くJFL昇格を果たした)、NEC山形(現在のモンテディオ山形)は勿論、同期昇格の福島FCの後塵を拝すことになる・・・。七十七銀行の「ブランメル定期」のCM,「オーレオレオレブランメル、ブランメル勝ったら金利が上がる」というのがあったが、結局金利は上がらなかった。
で、この年のシーズンは、結果として1位の福岡B,2位の京都がぶっちぎってのワンツーフィニッシュ。29節の時点でJリーグ昇格条件である2位以内を確定させたのである(ちなみに京都が29節@太陽が丘で勝利したのが、よりによってのブランメル仙台。6−2。この試合は行こうかと思ったが、確か夜勤明けになったのかな?それとも、当初出場する予定で金を払っていた東京都フェンシング選手権(男子フルーレ)の日が、泊まり勤務(この頃は月8回のペースで、24時間勤務をしていた)になったので、代金をこの日開催のエペ杯に振り替えてもらったので、太陽が丘を欠場したのかな?)。勝ち点9差の3位は、なんと(失礼)東京ガス(現在のFC東京)で、「来年のJFLプログラムのトップ(前年度順位順の紹介)は東京です」とサポが喜んでいたことを覚えている。
ブランメルは結局、最終戦で鳥栖Fに、阿部良則のVゴールで勝利して15位。それも、最下位の西濃運輸が、豊田陸上で京都にVゴール勝利(これで京都は優勝を土壇場で福岡にさらわれた、別名「豊田の奇跡」)したため、鳥栖に勝っていなければ最下位、という状況だったのである。
結局、95年オフでブランメルは佐藤長栄監督を迎え、17名もの大補強を行う。俺は95年11月で、転勤で仙台勤務となるのであった・・・。
【第4回JFL(1995/96)最終順位表】95年のB仙台成績はこちら。
1 福岡ブルックス 72 +58
2 京都パープルサンガ 70 +36
3 東京ガス 61 +31
4 鳥栖フューチャーズ 60 +10
5 大塚FCヴォルティス徳島57 +15
6 ヴィッセル神戸 55 +17
7 本田技研 49 +16
8 東芝 46 −9
9 ヴァンフォーレ甲府 43 0
10 NEC山形 41 −2
11 コスモ石油 36 −20
12 富士通 34 −16
13 福島FC 33 −43
14 NTT関東 31 −29
15 ブランメル仙台 27 −39
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